GUITARS

ライヴやレコーディング、または自宅で使用しているギターやアンプ、ベース、マンドリン、ウクレレ、その他の楽器や機材などを、自身のコメントとともに紹介します。

 

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K.Yairi / YF-OOO28C(2008年製)

僕のメインギター。長年に渡って日本製のギターを好んで愛用してきたので、Kヤイリのギターにも絶対的な信頼を置いている。きちんと数えてきたわけじゃないから確かなことは言えないが、おそらく僕がこれまでに手に入れて試してきた沢山のギター達の中で、数としてはKヤイリのギターが一番多かったかもしれない。様々なタイプのヤイリギターを手に入れて、実際にライヴで使ってみたりして、どれもそれぞれに優れたギターだったけれど、初めて手にした時に「あ、もうこのギターだけで生涯大丈夫だな」と思わせてくれた最初のギターがこれだった。抱えて握った瞬間のフィーリングがすっと腑に落ちた。長年に渡る生涯ギター探しの旅の果てに辿り着いたのはこの上なく地味なギターだった(笑)。夢のギターを手に入れた!といったような色めき立つ感慨はないが、語らずとも義を果たす馬鹿正直な武士の刀みたいだ。そんな最初のインスピレーションにしたがって(気分屋だからしょっちゅう別のギターを持ってステージに上がるのだけれど)今日に至ってもこの器がメインギターであることは不動だ。これ以上でもなく、これ以下でもなく、これがいい。静かにそう思える。

このギターはマーティンOOO-28をモチーフにしたモデルであり、型番のCはカッタウェイの記号。表板はスプルース単板、側板&裏板はローズウッド単板の総単板ギター。長い年月をかけて日本でシーズニングされた材を使って、世界一の技術を持つ日本のビルダーによって作り込まれたギターは、この国の気候にも、我々日本人の気質にもすんなりと馴染んでくるように思う。アメリカ製のギターと比べて歴然として壊れない。マーティンもギブソンもすぐに板が割れちゃうけど(とくに近年物には閉口しちゃうけど)、日本製のギターはやはり気候に合っているのか、丈夫だなぁとしみじみ思う。消耗品の交換以外にまだメンテナンスをしたことがない。過酷な環境のツアーに持ち歩いてもビクともしない。この1本さえあれば仕事が完徹できる頼もしい相棒だ。

 

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Gibson / HUMMINGBIRD(1995年製)

上記のKヤイリの次にライヴで使用することが多いアコースティックギター。エフェクター類を使わない日、純粋な弾き語りに徹する日に使うことが多い。それは朝の気分で決まる。カッタウェイ仕様じゃないギターを持ち出す日はソロを弾く可能性が無い日。

明快な理由を持っているわけではないのだが、ギブソンのギターを選ぶ時は1990年代の個体を探すことが多い。とくに特筆されることもない平凡な年代のギブソンだと思うが、個人的には不思議な安定感を感じる。90年代に作られた楽器は自分の中ではOLDじゃない近代物のギターとして手にしていたのだが、よくよく考えればもう30年近く経過しているギターなので十分にOLDの域に入っているわけだ。確かにこのハミングバードも近づいて見ればウェザーチェックがびっしり入っているくらいの貫禄が出てきた。

チェリーサンバーストのチェリーの色加減が気に入ってわりと即断で手に入れたギター。表板の割れが生じて工房にて補修。このギターの音色に心が躍るというようなことはあまりないのだが(それもどうなんだか?とは思うが)、現場に持っていく実用器として考えるとトータルして安定しているので良くも悪くもこだわりなく重宝している。まあ見た目は上等ですよね。説得力ありますから。

昔話をすると、僕は20代の若かれし頃はギブソンのギターが特に好きで、1965年製のヴィンテージJ-50(ナチュラル)と、1968年製のヴィンテージJ-45(エボニーボディー、アイボリーピックガード)を所有していた。ろくに弾きもしないのにローンを組んで。この2本はさすがにヴィンテージギターならではの他に代え難い素晴らしい音色だった。とくに65年製J-50はたしかジェイムス・テイラーと同じ器で、あの「Sweet Baby James」のレコードと同じ音がした。でも結局若気の至りで遊び人暮らしの資金繰りのために20代のうちに全て売り払ってしまった思い出だけが残っている。ギターを売ってでもフラフラ遊んでいたかった。何かに打ち込むよりもいつまでもクラゲみたいに漂って生きていたい、それもまた健全な若者の姿だった(笑)。もし今もそれらを所有していたら一財産になっていただろうなぁ。現在の市場価格はどれくらいなんだろう?たぶん3~4倍でしょうね。結局地に足がついていない人間の買い物は、何を手に入れようが身につかないものだ。今こうして仕事の道具としてしかギターを買わなくなった現実的な僕は(これでも地に足をつけているのだ)、色気がなくても理にかなったギターを冷静に選んでいる。それがなんだか妙だ。

どんなギターが好きですか?と今聞かれたら「車に積んで2000㎞走り続けてもツアー中に壊れないギターです」と答える。夢も色気もない。それでも1990年代のギブソンのギターは作りの堅実さと音色の枯れ具合の妥協点でちょうど良いポジションにいる(ような気がしてる)。

 

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GRETSCH / 6022C RANCHER(2000年製)

正直に言うけれど、見た目だけで買ったギターです。「ギターは見た目が命」、それについてはまったく異議なしである。でもさすがに仕事の道具として使う以上、見た目「だけ」では無理なので、きちんと楽器としての精度と使用の実用性を兼ねていなければ買ったりしない。

このランチャーはUSA製のヴィンテージではなく、日本の寺田楽器が製造するようになってからのモデル。こんなふうに書くと語弊が生じる可能性があるが、日本製になってからグレッチのギターはまったく別物になったのだと思う。これは品質が落ちたということではなく、むしろたぶん質は上がった。元々どうにもならないくらい扱いづらい往年のグレッチが「ちゃんとした」ギターになった。もちろんそれは実用機としては諸手を挙げて喜ばしいことであるが、あの独特の雑味や、グレッチ特有のハミ出した色気や、こう言っちゃあ何だが、あの妙に捨て難いランチャーの音の悪さ(笑)なども消えた。どちらを選ぶかは好みの問題でいいと思う。この矛盾こそグレッチギターを選ぶ時の嬉しい悩ましさだろう。僕について言えば、そもそも僕はグレッチのファンであるというよりも寺田楽器の熱烈なファンなので、入り口がおかしい(笑)。私評もあまり参考にならないと思う。

ヴィンテージのUSA製ランチャーはオール合板なのに対して、日本製になってからはトップは単板にアップデートした。アコースティックギターとして普通にちゃんとした音で鳴る。寺田楽器製なので言うまでもなく木工精度は高いし壊れない。それは個人的には嬉しいし、だから買ったわけだが、なんだかな?もうグレッチの存在意義まで変わったような気も少しだけする。僕の個人的な嗜好で語るなら、エレクトリックギターのモデル(ナッシュビル、テネシアン、カントリー・ジェントルマン、デュオ・ジェットなど)は、少々メンテナンスに手こずってもヴィンテージを手にする価値が十分にあると思うが(縁があれば僕も欲しい)、アコースティックのランチャーは日本製で(が)いいのでは?と思ったり、思わなかったりする。

見た目の派手さが求められている場面や、意味もなくカッコつけたい気分の時にこのギターを持ち出す。ブルーのランチャーはあまり見ないですね。それが入手した最大の決め手。惚れるだろ。「レジを打つ女」のMVでも使用。レコーディングの演奏は確か別のギターでおこなって、このギターは映像出演(見た目)だけ。小道具みたいな使い方で申し訳なかったが…。

 

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HORI GUITARS / MAKOTO SPECIAL マコト・スペシャル(2021年製)

佐賀県唐津市の個人製作家HORI GUITARSさんに世界で1本しかない「クマガイマコト・スペシャル」を作って頂きました。このシルエットは世界に類がないオリジナルのシェイプです。このギターの形成のために一から型を作り、非常に難しい工程を経ながらこのボディーシェイプが完成したそうです。

ボディーのトップ材は栃の木、サイド&バック材は唐津の木だということです。MADE IN KARATSU のオリジナルギター、めちゃくちゃカッコいいです。音色もカランとしていてブライトに響きます。これからどんな風にサウンドが化けていくのか楽しみで仕方がない。

少しずつ微調整しながらライヴで使っています。インパクトありますからね、ステージ映えは文句なしです。ちなみにヘッドのインレイのマークは角度によってはアルファベットの「P」に見えるかもしれませんが、違います。あれはカタカナの「マ」です。もちろん、マコトのマです。

 

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Gibson / Les Paul Standard(1995年製)

チェリーサンバーストのレスポール・スタンダードというギターは、ギターの神様であるジミー・ペイジが弾くための楽器であって、それ以外の、その領域に到達していない凡人は触ることすらできないものだと思っていた。誰かにそう吹き込まれたことではなく、ごく自然に少年時代の僕はそう信じていた。あれは一流のプロフェッショナルのためのギターなのだ。ジミー・ペイジのような天才しか持ってはいけないと小学生のマコト少年は信じていた。 

小学生、中学生の頃、街の中心部にあった楽器店に行くと、ギブソンのレスポール・スタンダードが店内奥の隔絶されたショーケースの中で加湿器の蒸気を浴びながら飾られていた。もちろん別格の扱いであった。美しかった。ひたすらただ美しかった。神々しかった。僕らは手で触れることも出来ないのだ。触りたいなら店員さんを呼んでショーケースから出してもらうしかないのだが、そんなことをろくに弾けないガキが頼めるわけがない。それどころか畏れ多くてショーケースに近づくことも出来ずに、少し離れたところからいつも眺めていた(笑)。何時間でも眺めていた。暇さえあれば楽器店に行き、店員さんの目を盗んで眺めていた。

あのショーケースの中は王室だった。謁見するにも資格が要るのだ。安易に近づくなどという粗相は犯さず、ただ遠くから拝見するだけだ。天皇陛下が国の象徴とされるならば、ギブソン・レスポール・スタンダードは少年たちの叶わぬ夢の象徴なのだった。

僕達の世代にとって、ギブソンのレスポールとはそういう存在だった。

ところが今ではこれからギターを始めようとする学生さんが最初の1本として買うらしい。買ってしまうらしいし、買ってしまえるらしい。時代は変わった。

僕は大人になってから、それもプロミュージシャンとして銭なんとか暮らしていけるようになってから、やっとそのギターを買った。もちろんそれまでも金銭的に買えなかったというわけではない。大人になれば誰でもそれくらいのギターなら普通に買えるだろう。もっと高額なギターも好きなだけ買って弾いてきたわけだから。そうではなくて、ギブソン・レスポール・スタンダードだけは、自分の中で「買うための資格」が必要だったのだ。厳密に言って今もその資格を有したとは思っていない。僕は相変わらず天才ではないし、超絶テクニックのプレイヤーでもない。ただ一応プロとして生きていけるくらいのところまで自分も頑張ったということで、レスポールを買ってももう自分を許せるんじゃないか?と思ったことは確かだ。大事なのは自分に許可を出せるかどうかだった。僕は勇気を出して許可した。ショーケースを遠くから眺め続けていた少年は、あの時より30歳は年をとっていた。

モデルや色で悩むことはないのだ。チェリーサンバーストのレスポール・スタンダードなのだ。その一択だ。これは人生の中で起こる、通過しなければいけない大きな儀式なのだった。僕は少年時代の叶わないと思っていた夢をその日叶えた代わりに、自分を駆り立ててきた純粋なロマンをひとつ失った。これが大人になるということなのか?40歳を過ぎた中年があの頃と同じ遠い空を見上げる。僕はその日から「レスポール前の僕」と「レスポール後の僕」に世紀を分けられてしまった。今も、これからも、レスポール後の自分として新しい夢を追いかけていくしかない。

今もってこのギターを抱える時は興奮するし、緊張する。レコーディングでしか使わないギターだが、これはやっぱり「物」ではなく、今でも僕にとって「象徴」だ。

ちなみに蛇足かもしれないが、僕がわざわざ30年越しでこのギターを買おうと思った時に、そのきっかけとなった衝動はジミー・ペイジではなく、マーク・ノップラーのレスポールのプレイだった。あれにはシビれた。

ALBUM『2021』に収録されている「水玉」という曲で僕はこのレスポールを弾いている。見事に小型アンプ直挿しのクリーントーンだ。もうジミー・ページと同じサウンドを出したいとは思っていない。僕は、僕のレスポールで、僕の音楽を探している。

 

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Rickenbacker / 330-12(MIDNIGHT BLUE)

自分が生きている間にリッケンバッカーのギターを買うことだけはないだろうと思っていた。ザ・ビートルズが僕のルーツとはいえ、エピフォンのカジノには並々ならぬ愛着と探求心があるが、リッケンバッカーの使い道だけは自分の中で想像できなかったのだ。ところが、とあるレコーディングで12弦のエレクトリックのサウンドがどうしても欲しい曲があり、ダンエレクトロの12弦ギターで演奏してみたのだが自分の頭の中にあるサウンドに最後のところで届かない。これは何が足りないんだろう?と考え抜いた結果、それはリッケンバッカーの12弦ギターでしか出せない音なのだ!というところに行き着いた。あの独特な音色を生み出すハイゲインピックアップのサウンドも唯一無二だが、主弦と副弦の配列が一般的な12弦ギター逆になっているリッケンバッカー独自の構造が何よりも大きい。その配列構造によって6弦、5弦のあの輪郭の強いアタック感が生まれるのだ。僕がその時欲しかったのはその独特な低音弦のサウンドだった。たったそれだけ?はい。出来上がった作品を聴いてくれる人達にはその個人的なこだわりの意味まではまったく解らない(気づかない)だろうが、僕は作り手として地獄の隅っこまで可能性を探しに行くようなタイプの人間だ。我ながら疲れる人生だと思う。でも作り手がその(他者からは解らないかもしれない)こだわりを捨ててしまったら、いったいそこに何が残るんだろう?いちいち適当に物事をやり過ごせない面倒臭い人間であることは、僕にとって生きていくための生命線だと思っている。そのために普段から周りには多々ご迷惑をお掛けしてますが(ごめんなさい)。

そうそう、そう考えたら12弦ギターで演奏された有名なギターリフってほぼリッケンバッカーだよな。きっとそういうことなのだ。

さて、6弦の開放Eと、5弦上のCのたった2色の音色が欲しいだけで探し始めたリッケンバッカーの12弦ギター、見つかるまで大変苦労した。こんなにも市場に無い物だと思わなかった。何週間も探し続けてもうあきらめかけた時にネットで1本だけ売り出されたのを見つけて秒速ゲット。しかも何気に欲しかったミッドナイトブルーだったからちょっとガッツポーズ。

入手してから自分に馴染むように調整するのにさらに時間がかかった。いちいち工具類もリッケンバッカー専用工具だったりして、工具を探して注文して届くのを待つだけでも時間がロスしていく。今すぐ使いたいのにイライラ。塗装の状態も今ひとつだったので(リッケンバッカーはベタつきが出てくるのが運命的な悩みの種)、リッケンバッカーの塗膜に最適だという評判のバカ高いポリッシュとワックスを買ってみたりして、とにかくもう本当にオーナー泣かせの(まあはっきり言っちゃえばかなり出来が悪い)楽器だ。僕は基本的に自分でやれそうなギターの調整は自分でやってしまうほうなのだが(修理工房に出すとかなりの時間がかかるので、せっかちな僕はそれが待っていられない)、リッケンバッカーのネック調整だけは結構ビビりながらやった。トラスロッドが2本も入っていて結構難しい(これに関してはリッケンバッカー専門の工房に出すことが推奨されている)。運が良いことに、ギターを致命的に壊すこともなく、今僕のリッケンバッカーはベストな状態をキープしています。

ちなみにだけど、まったく物欲の範疇に無かったリッケンバッカーという楽器に対して、僕に初めて強大な興味をもたらしてくれた人はジョージ・ハリスンでもロジャー・マッギンでもなく、コンサートを観に行って感動してしまったU2のジ・エッジだ。あの夜、おもむろにジ・エッジが曲のイントロで弾き出したリッケンバッカー12弦ギターのコードは稲妻のように僕をシビレさせた。目から鱗でもあった。このギターは弾き語りに使えるぞ!という確かなイメージまで湧いた。まだやっていないけれど、1ステージ丸々リッケンバッカー12弦で演奏するライヴをいずれやってみたいと思っている。

 

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GRETSCH / 6120W Nashville(1991年製)

フィルタートロン・ピックアップの音色が好きだ。ソロだけではなくバンド形態でも活動するようになった当初は迷いなき一択でP-90が搭載されたエピフォン・カジノをメインのエレクトリックギターにしていたが、少し欲が出てきてフィルタートロンが載ったグレッチを試してみた。これがバンドのサウンドの中で思った以上にピンときた。それ以来、クマガイマコトTRIO/BANDの時はこのグレッチ6120ナッシュヴィルを使っている(正直なところカジノのほうが好きだし使い慣れているのだが、それでもこのギターを使っているのは音楽的な挑戦の気持ちもあるからだ)。

6120の後についているアルファベットのWは「WESTERN」の意らしく、その記号の通りポジション・インレイに牛やサボテンや銃や矢の西部らしい絵が施されている。ボディーに書かれたGマークもこの6120Wならではの装飾だ。ようするに通常の6210より見た目が派手。このギターを買おうと考えていた時はブラックカラーのシックなモデルを手に入れるつもりだったのだが、土壇場で気が変わってしまった。どうやっても派手なギターなのだ、どうせだから男らしく堂々と看板カラーであるオレンジにして開き直ろうと。エディ・コクランやブライン・セッツァーの巨大なイメージに最初からひるんで逃げ出すようでは、そもそもこのグレッチ6120というギターに負けてしまうだろう。覚悟を試されているんだと自分を奮い立たせ、あえてド真ん中のオレンジ、そしてさらに派手な装飾モデルを探して買った。結果論だけど、これを買ってよかった。やっぱり6120はオレンジだよね。これ以上に映えるカラーは無い。グレッチ6120にはFenderのアンプ、カジノにはVOXのアンプを使っている。

1991年製なので、アメリカ製のヴィンテージ・グレッチではなくて寺田楽器による日本製。上記のグレッチのアコースティック、ランチャーの項でも書いたが、寺田楽器が作るようになったグレッチは楽器としても製品としても隙がないくらい「ちゃんと」している。本来グレッチのギターが持っていた雑味や、どうやっても抑えられない経年劣化ぶりとは無縁の安定したギターになったと思う(そのダメさぶりを相殺してさらに+になるほどの魅力がヴィンテージ・グレッチにはあるわけだけど)。僕が仕事道具としてギターに求めていることは第一に「壊れず安定していること」なので、この日本製のグレッチのほうが実用的でありがたい。なにしろ安心してツアーに持ち出せる。ボディーも盤石の精度を誇り、サウンドもきちんとグレッチ的な狂おしく艶やかな音を出してくれる。

ただし、このギターは現場で何度も謎のチューニングトラブルに見舞われてかなり手痛い想いをしてきた。おそらくこれに搭載されているビグスビーアームに問題があるように思える。あるいは僕がビグスビーの扱いにまだ長けておらず、弦の張り方を含めて未熟者なのかもしれないが(他のビグスビー付きギターではトラブル無縁なのでそれも考えづらいのだが)、このギターでステージに上がる時は毎回変な緊張感がある。未だにトラブルの謎が解明できていない代わりに、今は普段からこのギターをケースに仕舞わずスタジオ作業部屋の壁に吊るしておいて必ず毎日5分以上は弾くことにしている。そうやって日々のチェックを欠かさず続けている。ライヴの演奏はライヴをしていない時間からすでに始まっていて、そのような日々の備えの時間こそが本番のショーを決定づけることを失敗を糧に切実に学んできた。それでもトラブルは「起こる時は起こる」のだ。ていうか、起き過ぎ!(笑)

このギターに限らず僕が所有しているギターは、ステージで使う可能性があるものはすべて、少々神経質なんじゃないか?って思われるくらい常に完全な状態に手入れしてある。なかなかの本数になるけれど、そこは決して手を抜いていない。仕事道具は命だ。たとえ1年も2年も出番がなかったギターでも、いつでも急に持ち出してステージで即演奏できる状態を保持している。

それはたとえば同じように僕が愛している靴や洋服と同じだ。ピカピカに磨き上げられた革靴や、皺ひとつなくパリッと生地が保たれているスーツは、男の戦闘服であり勝負に必要な武器だと思う。だからこそ常に備え、男は毎日臨戦態勢で生きているのが精神的に心地良い。

(だったら面倒なギターを使わず、盤石なストラトキャスターなんかだけを使っていればいいものを…)

 

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Epiphone / CASINO(1988年製)

弾き語りというスタイルで始めたシンガーソングライター稼業だったこともあり、長い間エレクトリックギターはレコーディングでしか使用することがなかったのだが、この近年バンド形態でも活動するようになってからは改めてライヴの主役の椅子に座ることも多くなった。なんだか高校生に戻ったみたいな新鮮な気持ちが蘇った。バンドでエレキをジャーーン!!だ。これでまた大人になる機会を逃した。

最近はグレッチ6120を使う回数のほうが多い気もするが、このカジノと6120がエレキを使うライヴのメイン器であることには変わりない。もしもどちらか1本に絞れというなら迷わずこのカジノだろう。キャラクターが違う2本なので、どちらのギターを持つかでその日の音楽(ステージ全て)が変わってしまうのだが、それもライヴとして楽しめる性格なので気分で選ぶ。

エピフォン・カジノは一番好きなギターだ。もちろんザ・ビートルズの影響で間違いないのだが、そのビートルズソングの中でも「THE END」という曲でポール、ジョージ、ジョンが、ジョンのカジノを二回りずつ交代で回して弾くあの伝説的なギターソロのサウンドの魔法に10代の少年の時からいまだに掛かったままなのだ。世界中に僕と同じ魔法に掛かったままの高年齢のキッズ達が数えきれないほどいるのだろう。僕にとって「カッコイイエレキの音」「良いエレキの音」とは永遠にあの曲なのだ。

これまでにたぶん7~8本くらいのカジノを買ったと思う。主に中国や韓国で生産された現代の器だったが、それらはカジノである以上おおむねOKなのだが、心から愛着が湧いてくることはほとんどなく、結局ケースに仕舞われ、最終的には全てを売り払ってきた。何かが決定的に違ったのだ。あのレコードと。やはりヴィンテージのアメリカ製(1961年~1970年製)を手に入れるしかないのだろうか?それはもちろん選択として間違いないのだろうが、実のところ僕はヴィンテージギターの世界にあまり興味がない。ツアーに持ち出すことを大前提としてしかギターを買うことがないので、管理やメンテナンスが繊細な楽器にはついつい腰が引けていた。ギターは現実的な仕事道具なのだった。

その悩ましさを解決してくれたのが、1970年代に入って生産拠点が変わってからの日本製のエピフォンとの出会いだった。1970年から1987年までのマツモク工業製、1987年以降の寺田楽器製、これらの日本製エピフォンの出来の良さに感銘を受けて貪欲に探すようになり、気が付けばちょっとしたマニアになっていた(苦笑)。特にマツモク工業時代のエピフォンには感激してしまった。正に「あの音」が出た。「THE END」のソロや「REVOLUTION」のイントロのサウンドだ。VOXの真空管アンプに繋ぐだけでいい。エフェクターは要らない。

ただしマツモク時代の(とくに70年代の古い)個体はもう60年代のアメリカンヴィンテージと同様にバインディングの劣化などが激しく進んでいるものも多く(ボロボロに割れて欠落してくる)、結局のところストレスフリーとはいかない。でもそれに気づいた時にはもう手遅れ、僕は日本製エピフォンに憑りつかれていた後だった。そうなったらもう甘んじて受け入れるしかない。メンテナンスは欠かさない。

この白いカジノは1988年製。マツモク工業が倒産し、カジノの製造が寺田楽器に移行して最初期の時代の器だ。同じ寺田製のカジノとはいえ、不思議なことに90年代に入ってからの寺田カジノとは明らかにサウンドが違う。箱鳴り感も、P-90ピックアップの出力特性も、マツモク製の器に限りなく近い。理由は判らない。在庫として残っていたマツモクのピックアップが載っているとか、メーカーが製作の方向性を継続していて同じ品質のカジノを寺田楽器で再現製作していたとか、ロマンチックな憶測を一人楽しむ。色々事情があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。この後、寺田楽器の作るカジノは製品として盤石の安定性を誇っていく同時に、マツモク時代のヴィンテージテイストからは少しずつ遠のいていったような印象を僕は持っている。あくまで個人的な感覚だ。それでも寺田楽器の作るギターは好きなわけだけど(グレッチ6120も寺田楽器製を選んだ)。

このカジノは夢みたいなギターだ。珍しいオールホワイトカラーで、強烈なカジノサウンドを放つ。ロード・オブ・ザ・リングに出てくるガンダルフみたいだ。そうだ!今ガンダルフって名付けよう。いいじゃん、気に入った。アンプのヴォリュームを上げていく。真空管アンプの生々しい歪みが乗っかってきて、ギターが箱全体で震えてあのセクシーなサウンドを生まれる。最高だ。それはエクスタシーだ。

ビグスビーは自分で取り付けた。希少価値が高い楽器だけど躊躇なくD.I.Y。さらにアーム(バー)をチェット・アトキンス・アームにどうしてもしたくてネットで探しカスタムした。かっこ良過ぎる。このチェット・アトキンス・アームはガンダルフの杖ですね。

 

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Epiphone / CASINO(1981年製)

僕の宝物。死んだら誰かにあげるけど、生きている間は絶対に手離さないだろう。遺言状に誰に託すと書いておこうかな?

マツモク工業製のブルーラベルのカジノ。ここまで状態が良い個体は(ここまで執念で仕上げたんだけど)もうなかなか出てこないと思う。めちゃくちゃ自慢したいマイギター。しかもこのカジノはただでさえ希少となったマツモク・ブルーラベル期の個体の中でも、さらにレアな期間に製造されたもので、短期間だけ存在した日本ギブソン時代のものだ。日本ギブソン期に入ると同時にカジノはブルーラベルからベージュラベルに移行するのだが、これは日本ギブソンが設立された直後、まだラベルの移行途中期にほんの一瞬だけ存在した最後のブルーラベルだ。簡潔にまとめると「ネック裏ににNIHON GIBSONの四角いシールが貼ってある、日本ギブソン期のマツモク製ブルーラベルのカジノ」、全然簡潔じゃない(笑)!でもウルトラレア!

蛇足をつけると日本ギブソンの出資会社の内の一社はYAMAHAだったので、この時期のエピフォン・カジノは純正でYAMAHAのネーム入りハードケースに入れられていた。シュールというか、だいぶ混迷期だったんだろうなぁ。うちにもそのカジノ用(でもなさそうな)純正YAMAHAのハードケースがあるんだけど、サイズも合っているようにも思えないし(転用なのだろう)、けっこう安作りのハードケースなので使っていない。

マニアック過ぎて誰もついてこれない話になっているが、さらに珍しいことがあって、このカジノは明確にJOHN LENNONモデルだったらしい。ブルーラベル内の欄にJOHN LENNONと記載されている。マツモク期のカジノではそんなモデルはそれまで見たことがなかったし、これを入手以降もまだ他で見たことがない。ジョンが使用していた年代のヴィンテージ・カジノを忠実にレプリカしている。ボディーシェイプを見ても、上記の白い寺田カジノとはだいぶ違う。もともとこちらのマツモク期のほうがオリジナルシェイプで、寺田楽器に移行してからボディー形状(やジョイント位置など)が何度か変更されていった。

サウンドはもう、はい。限りなくザ・ビートルズ・サウンドに近いと思います。これはマツモク期までの恩恵です(だからマツモク期のカジノが神格化されることになったわけだ)。マツモク製のカジノはもう中古市場でもほとんど出てこなくなったし、たまに出てきたとしても異様に価格が跳ね上がってしまった。たぶん僕のようなマニアックなファンがこうやってネット上に好き勝手に書いてしまったのも価格高騰の一因なんだろうなぁ。自分で自分の首を絞めちゃったような…。なにせ入手のハードルが高くなった。まあ僕はもうこれ以上要らないんだけどね。

 

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Epiphone / RIVIERA(1978年製)

これも僕の大事な宝物。マツモク工業製のブルーラベル期のリヴィエラ。これこそ最高峰のジャパニーズ・ヴィンテージギターだ。最高だ。これは最高だ。他の言い方をするなら、やっぱり最高だ。

リヴィエラは本来ミニハムバッカーが搭載されているギターだけど、マツモク製造期はフルサイズのハムバッカー2基だ。エピフォン純正のトレモロユニット「トレモロトーン」をどうしてもつけたくて、ネットで探しまくって自分で取り付けた。トレモロトーンだけでギターを1本買える値段がしたり…。でもそれくらいこのギターに対する愛情がある。

音?言葉では伝えられないです。なんかもう、全部良いです。トータルして。ずっと触っていたいし、一緒に寝たい。かっこいいなぁ。惚れ惚れするなぁ。わざわざ長野県松本市のマツモク工業跡地「南部公園」まで聖地巡りをしてお礼を言ってきました。

まじめな話、このギターを眺めているだけで幸福感が体中に満ち溢れてくる。これをおかずにご飯おかわりできそう。僕って病気なのかな?

  

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Fender JAPAN / TELECASTER TL52-65(1988年製 Eシリアル

1988年に新品で買ったからたぶん製造年は88年製。これは僕の人生における記念すべき1本。高校生1年生の夏休みにびっしりとアルバイトに励んで初めて自分の稼ぎで買ったエレキギターだ。この頃の僕はジミー・ペイジになりたくて、レスポールのコピーモデルを買うつもりでいたのだけれど(本物はさすがに買えるわけがなく※レスポールの項参照)、どういうわけか店の壁にかかっていたこのテレキャスターに心を持っていかれて「そうだ!レッド・ツェッペリンの1stアルバムのジミー・ペイジはテレキャスターじゃん!」みたいな無理矢理の理由で自分をねじ伏せて、見た目が異様に美しかったこのテレキャスターを買ったのだった。結局この頃からギターを見た目最優先で選んでいたことが証明されている。偽物じゃなくて一応本物のフェンダーだしね!(ジャパンだけど)。このギターと一緒に同じくフェンダーの小型アンプを合わせて、稼いだバイト代の全部を注ぎ込んで計75,000円くらいで買った。15歳の夏だった。人生で初めての清水の舞台からダイブする大きな買い物だった。それにしても高校生がたったの1ヵ月で75,000円もバイトで稼いだなんて本気だったよなぁ。休み無しでシフト入れてください!みたいな(笑)。

家に持ち帰ってさっそく「BLACK DOG」を弾いてみたけど音が軽い。どうやってもレスポール的な甘く太い音にならない。しかたなく「COMMUNICATION BREAKDOWN」をペケペケ弾きながら悦に浸ったジミー・クマガイ少年だった。

このテレキャスターはナチュラルの表面をバーナーで焼いて焦げ目をつけた無理矢理ヴィンテージテイストのカラーだった。チャコールバーストという色名らしい。年代的には現在もマニアが欲しがるEシリアル期。もちろんフジゲン製。Eシリアルをリアルタイムで新品で買っていたわけだから、自分もそれなりの歳なんだよなぁって妙なところで感慨に耽ってしまう。

見ての通り、ものすごいヴィンテージ感を醸し出している。これはレリック加工ではなく、すべてナチュラルな経年(ボロボロ)変化だ。買った当初はピカピカだったのです。当初のボディーの木目のバーナーの焼き模様も今ではすっかり色褪せて馴染んでしまいほとんど残っていないし、指板のクリアー塗装はすべて剝げ落ちて、木の地肌丸出しの指板はご覧の通り34年分の弾き込まれたエイジング(という名の汚れ)が見てとれる。このギターを見た人はほぼみんなウン百万円もするヴィンテージ・テレキャスターだと思うらしい。いえ、ジャパンです。これでロックギターの全てをコピーして練習した。そりゃあ、こんな風貌にもなるわな。買ってから30年以上経った。ピックアップをUSA製のものに交換しようとずっと思っているのだが、30年以上それは成されていない。今年こそは…

ちなみにこのペケペケのフェンダージャパン純正ピックアップのまま1st ALBUMに収録した「栄養」のエレキギターを弾いている。なんともまあ我ながら男気全開、VOXのチューブアンプに直挿しのセッティングだ。エフェクター無し。歪みもアンプだけ。中学生かよ?(笑)。しかしそのおかげで丸裸のテレキャスターサウンドが録れていると思う。度胸が無いと出来ない。さらに男気について語るなら、この「栄養」のエレキギターパートは実は1テイク(1回演奏)しか録っていない。イントロからエンディングまで切ることなく通して1本録り。しかもライヴ同様に閃きだけの出たとこ勝負の一発演奏だった。ゆえにあの変態っぽいギターソロも二度と弾けない。一度だけ後年に自分自身でコピーを試みたことがあるが、あのニュアンスが自分で出せなかった(笑)。つたなく、いなたい演奏だがライヴ感はあると思う。こういう不完全な人間たる演奏の味気は、いくら進化したデジタルレコーディング技術を駆使して作り込んでも表現できないと思う。アナログミュージシャン万歳!是非聴いてみてください。

 

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Squier by Fender / STRATOCASTER SST-30(1982~84年製 JVシリアル

フェンダージャパンの最初期1982年~1984年の2年間だけに振られている「JV+5桁シリアル」の物。いわゆるジャパニーズ・ヴィンテージギターの中でも最も人気があるフジゲン製のJVシリアル物だ。 この当時L.A.のスタジオミュージシャン達はみんなアメリカ製のフェンダーギターよりも破格に安くて素晴らしい品質の日本製スクワイヤーのギターしか弾かなくなったとか、とにかく(都市?)伝説的な話もたくさんあるギターだが、ジョージ・ハリスンが息子のダー二のために安い日本製のフェンダーのストラトキャスターを買ってあげたところ、あまりにもそれが良く出来ていて気に入ってしまい自分のコンサートで自らが使ったという話は有名な事実だし、近年観に行ったTHE BANDの映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」の冒頭シーンでロビー・ロバートソンのスタジオに置いてあってアップで映し出されたのはこの年代の日本製スクワイヤーのジャズベースだった。1980年代からずっとロビーのスタジオに居座り続けているのかもしれない。

それくらいの説得力があるギターだ。フェンダーブランドでなく、さらに廉価のスクワイヤーですら物凄く良い。恐るべし世界のフジゲン。間違いなく世界一の工房だ。このJVシリアル期のフェンダージャパン製ギターがあまりにも良く出来過ぎていたので(本家のギターがまったく売れなくなったので)、本国USAのフェンダー社がフジゲンに対して品質を落とせと命令する。そのせいでそれ以降品質が下がる(わざと下げさせられた)。この話だけでも伝説的だ。

このSST-30は当時のフェンダージャパンにおいて、廉価ブランド・スクワイヤーの中の、さらに最下位モデルのストラトキャスターで、定価が36,000円。しかし僕がこれまで所有して試してきた10数本のUSA製、MEXICO製、JAPAN製全てのストラトキャスターの中で断トツに良かった。もともと自分にはストラトが似合わないと思っているので所有欲もないのだが、このギターだけは稲妻が走るような運命を感じた。ギターを抱えて、ネックを握った時の感触が素晴らし過ぎる。この握りのフィット感と手触りの心地良さは言葉で説明し難い。確かにこれは生き物だなと思う。

ボディー&ネックは完璧だ。しかし廉価モデルがゆえに電装パーツやアクセサリーは弱い。これは初期フェンダージャパンの泣き所だが、幸いなことに電装パーツはすべて交換すればよい。このギターは僕が入手した時点で純正の非力なピックアップからフェンダーメキシコ工場製のTEX-MEXピックアップに交換されていた。GOOD SOUND!

そしてこれも致命的な廉価チューナーペグをフェンダー社のロッキング・チューナーに自分で交換(これは穴加工を含めてかなり手こずった)。

これにて現状完璧なストラトキャスターが出来上がっている。僕はこのギターのおかげでストラトキャスターを好んで弾いてしまう人間に変貌してしまったが、でもそれはストラトキャスターが好きというより、このスクワイヤーのギターが好きなのだと思う。そしてあらためてフジゲンという長野県松本市にある工房に敬意を表したい。

自分のレコーディングでは『2021』という曲で使用。自分自身とても気に入っているギターソロもこれで弾いた。

 

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Martin / OO-15

マホガニー好きが高じて、一時オールマホガニーのギターを集めていた。このギターもその頃に買ったもの。

このギターにまつわる個人的な話を書きます。

実を言うとこのギターは自分で買ったわけではない。当時たまたま僕のライヴに連れてこられた(つき合いで無理矢理だったらしい)というある紳士が、そのライヴを観て予想外に僕の音楽に感動してくれた。音楽そのものにすらまったく興味がなかったその方が、客席で涙を流しながら聴いてくれた。ライヴの後、その紳士は何かしらの形で僕をサポートしたいとスポンサー役を名乗り出てくれた。いわゆる芸術に対するパトロンだ。当時の僕はまだ音楽を専業の仕事とする以前の身だったので、そんな栄誉なことを初対面の人に申し出られて恐縮したのだが、ベートーベンもモーツァルトもダ・ヴィンチもミケランジェロもシェイクスピアも、あらゆる芸術が歴史上においてもパトロンの存在によって支えられ発展してきた事実を十分に知っていたので、芸術(音楽)文化の発達が致命的に遅れている日本で(まだ半分アマチュアだった)僕ごときの存在ですらパトロンがついて、新しい作品を生んでいくための正しい支援が受けれるのならば、その出来事を恐れずに受け止めてさらに自分を精進させようと決めたのだった。自分の周りにはそんな幸運を授かった人の話は一度も聞いたことがなかったし、ならば余計に大事にしなければいけない。

その方のサポートでいくつかのライヴを興行し、様々な形で支援を受けた。このギターもそういう経緯の中で買っていただいたもの。

「何か必要なものはありますか?」と聞かれたので「実は1本欲しいギターがあります」と言った。「そのギターを手に入れたら新しい曲が作れますか?」「はい、必ず良い曲を作る自信があります」と答えた。その方は言った。「それならば、今から買いに行きましょう」

そしてそのまま2人で楽器屋まで歩いて行き、壁に下げられている真新しいギターを手に入れることとなった。

このマーチンOO-15はそういうギターだ。そして僕はこのギターを使って「かなりたくさん」の曲を作った。このギターで作られた曲達は今も歌い続けているし、その曲達で今日のオーディエンスに楽しんでもらっている。

1st ALBUM「夜の魚」で弾いているアコースティックギターは全てこのギターで弾いた。

その方とはもう会えなくなってしまった。今はどうしているかな?年に何度もふと思い出す。その度に「よし音楽を作ろう!」と思うのです。その方があの時注いでくれた音楽への出資(愛情)が、長い年月が過ぎた今もしっかりと形(作品)としてこの世界に残り、沢山の人達の中で息づいている。そして恩も永遠に僕の中で生き続けるのです。

 

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Three S(SUZUKI VIOLIN) / G-350 T(1977年製)

アコースティック12弦はこれだけで十分と思えるくらいのお気に入りギター。古い鈴木バイオリンThree S Troubadour Seriesの12弦ギターで、ギブソンのB-25の12弦モデルをコピーした器。当時の定価が35,000円というチープギターだが、表板は単板でとにかく扱いやすくサウンドもバランスがとても良い。それまで触ってきた12弦ギターの中で断トツに手に馴染んだため、それ以来このギター以外に12弦ギターの選択肢を持たなくなった。本家のギブソンモデルが欲しいとさえ思わない。これで十二分過ぎる活躍をしてくれる。

入手時はブリッジが剥がれかかったジャンク状態だったため、まだ幼かった息子に手伝ってもらいながら(パパ~、なにすればいいの~?ちょっとここ押さえてて!みたいな)自分で禁断のブリッジ貼り直しリペアーをしたので、余計に思い入れも深い。ブリッジ修理の際にやらかしてしまった表版の剥がれ傷なども、その時はショックだったが今では妙に愛おしい。

ギターは高価なだけがすべてじゃないってことと、日本のビルダーさん達の驚異的な技術と気合いを教えてくれるギターだ。

レコーディングではシングル『かりそめのブルー』のカップリング曲「行方不明」で使用。この曲ではこのギターとダンエレクトロの12弦エレクトリック、2本の12弦ギターを弾いている。

 

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Epiphone / ET-290 CRESTWOOD(early 1970s)

希少度という点で語るなら、おそらく僕のギターの中では一番レア度が高いギターだと思う。まず日本ではほぼ見かけない。海外サイトで至極稀に出てくるが、売り出される金額はちょっと目を疑う価格まで跳ね上がっているようだ。

1970年代前半のマツモク工業製のエピフォン・クレストウッド。これは正真正銘お宝と言っていいと思う。USA製のオリジナルのクレストウッドは1950年代から1970年まで製造されていて、その後エピフォンの生産は日本(荒井貿易/製造はマツモク工業)に移ることになるのだが、このマツモク製造期のクレストウッドは仕様がオリジナル期とは違う部分が多々で、それがまた面白く、今となってはレア度を上げている。2014年からオリジナルを忠実に再現した復刻物がアジア生産で開始されたが、それとは一線を画するヴィンテージの色気と、この時代ならではのサウンドを持っている。70年代のアノ音がする。クリーンでも歯切れよく、オーヴァードライヴをかけた時の歪み具合も「おお~!」となり、気づけば70年代のギターリフを弾いている(笑)。この時代のギターは「製品」じゃなくて「生き物」だ。弾いているとボディーを流れる血潮の脈音や、その温度を感じる。

自分がギターコレクターになってしまうのを拒んでいるので(かつては確かにそうだったが)、こんなふうに現実的な必要性がないギターをマニアックな欲求で探し求めてしまうのは許せないのだが、マツモク製のギターだけはルール適用外とさせていただいております。マツモク万歳!エピフォン大好き!

 

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Westone(MATSUMOKU) / PaduakⅠ

僕がマツモク工業が作ったギターのファンであることはもう既にお腹を壊すくらいげんなりと知っていただけたと思うが、これは当時マツモクが自社オリジナルブランドとして売り出したWestoneのギター。このギターについてきちんと書こうとするとドラゴンボールを探しに行くような長い長い話になるので、詳しくはブログ記事を読んでほしい(ギターは女だよ、55)。

名前のPaduak(パデューク)とは木材の名前でアフリカ大陸に生息しているマメ科の広葉樹だ。ギターに名づけられているからには当然その木が使われている。表板に貼り合わされた色の濃いほうの木。これは化粧板的に貼られているのでおそらくサウンドにはなんの影響もないと思われるが、かつてはギターやベースの材として使われた時代があったらしい。

とにかく見た目がクールだ。ボディシェイプもヘッドも。ロゴのフォントも可愛いし。このギターはもう完全一目惚れ。っていうかただの盲目的なマツモク信者。アームは例に漏れなく紛失欠品していたので、ゴールドのアームを自分でつけた。マツモクオリジナルのピックアップの名機MAXON製MMK-45を搭載。45はスーパーディストーション系にチューニングされたマイクらしいが、これがまたなかなか良い。クリーンも良いし、クランチさせても良い。つまみはTONEとVOLUME、2つのスイッチはコイルタップ(ハムバッカーとシングルの切り替え)とブースターだ。アクティヴのブースターのために、背面に9Vのバッテリーボックスあり。1ピックアップのギターながら、多様にサウンド出力できるギターだ。そしてあらためて見た目が良い。僕に全然似合わないところがまた可笑しくて良い。

もうホントこれ、相当なレア物ギター。僕は運が良かった。好き過ぎると向こうから寄ってくれるのかもしれない。やっぱり自分のことを好きと思ってくれている人に会いに行きたいですしね。ああそういえばお金もどうやらそうらしい。拝金主義の人のところにどんどんお金が集まるのは、やはり相思相愛だかららしいですよ。まったく関係のない話になりましたが。

 

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Westone(MATSUMOKU)/ Leader

上記のPaduakⅠの同型下位モデル。基本設計、構造は同じで、パーツの簡素化などがはかられている。取り外して確認してみたところ、ピックアップもPaduakⅠ同様のMAXON製MMK-45が搭載されていた。

コイルタップスイッチは搭載されているが、PaduakⅠに搭載されているブースター機能は無い。ロゴのプリントから廉価のペグまで分かりやすくコストダウンが見られるが、そうはいってもこれもおそらくオールメイプルボディーだろう。決して廉価ギターのクオリティーではないと思う。

ともあれ、PaduakⅠとLeaderを並べると自分のマニアックぶりに少し引いてしまう(笑)。

 

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DANELECTRO / VINTAGE 12 strings

ダンエレクトロの従来の12弦モデルをブラッシュアップしてリリースされたモデル。サウンドホールが空いているセミホロウボディが特徴だ(写真ではホールが見えづらくなっているが)。そもそもこのギターもなかなか見つからないリッケンバッカーの12弦モデルの代わりに応急手配で買ったギターではあったんだけど、実際にレコーディングで使ってみたら思いがけずとても使いやすい楽器だった。良い意味でクセがない。クセだらけだと思って面白がって買ってみたのに、それはそれで嬉しい誤算だった。とくにこだわりがなく、ナチュラルな12弦サウンドが欲しいだけのプレイヤーにはこのギターはお薦めできると思う。ダンエレクトロ、侮るなかれだ。

シングル『かりそめのブルー』のカップリング曲「行方不明」のレコーディングで使用。綺麗な12弦サウンドが聴けると思う。

 

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Jumbo / J-50(1972年製)

田原楽器JUMBOのドレッドノート。やっぱりバースイヤー製造のギターは1本くらいあったらいいななんてロマンティックに思うわけで、そんなにこだわるほうではないけれど、これは自分と同い年のギター。

僕は手が小さいし指も短いのでドレッドノートタイプの大きいギターは今は基本的に敬遠しているが、それでもやはり1本くらいはあったほうが何かと用が足せるので、常に1本はこのタイプのギターを所有するようにしている。このギターはスタジオの壁にぶら下げてあるので、こまめに手に取って鍛錬に使っている。ネックも太いので良い修行になる(笑)。

マーティン研究家の田原良平氏の工房JUMBOのギターは、古い日本のギターファンにとってはひとつの伝説だ。マーティンのギターをオマージュしながらも独特の工法を取り入れたJUMBOのギターは、確かにサウンドを含めて他とは似ていない。ぶっちゃけマーティンとも似ていない(笑、と僕は思う)。このJ-50も基本スタイルはマーティンD-28ながら、JUMBOの代名詞でもあるラウンドバックや大きなネックブロックなど工房の独自性を貫いている。

ちなみにJ-50は当時のJUMBOのドレッドノートギターの中では真ん中より上級寄りのクラス。当時の定価が50,000円だから、まあそこそこの高級機種になる。このJ-50は総単板なのか?側・裏板は合板なのか?で今でも議論が分かれている。JUMBOのカタログには単板か合板かの記載がないことが議論の要因だが、最後は自分の目視判断か勝手な思い込みで決めつけるしかない(ちなみに総単板だとしてもJUMBOのギターは内部の割れ止めを施さないので余計に判断が難しい)。僕が判断する限り、このギターは限りなく100%に近い可能性で総単板だ。30分凝視を続けて違いを探そうと努力しても、側板裏板の木目が表裏完全に一致している。そうとなると、いくら1972年のひと昔の物価とはいえ定価50,000円という価格で総単板にしてしまった田原氏の心意気に感銘を受けてしまう。採算度外視もここまでくると芸術だ。

表板スプルース単板、側・裏板ローズウッド単板、マホガニーネック、エボニー指板、チューナーはOLDのGROVER(USA)。スペックは完璧。現在これを作ったらたぶん30~40万円くらいのスペック。

僕が店頭でこのギターを見つけてさらりと弾いてみた時、正直に言ってまったく鳴らなかった。弦鳴りしかしない、薄っぺらいキンキンのサウンドだった。しかしそこはこちらとて長年ジャパニーズ・ヴィンテージと呼ばれているギター達をうんざりするくらいコレクションして弾いてきた経験がある。直感として、このギターは長いこと仮死状態で眠っているだけで、たった30分でいいから弾き続ければ化ける、と信じたので買ってきた。

その直感は当たった。怖ろしいくらいに鳴り始めた。何事においても無駄な経験はない。まあほとんどの人にとってはまったく無駄な経験だけど。

 

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Fender JAPAN / VENTURA

フェンダージャパン設立初期に販売していたエレアコ。1980年代、もちろんその時代なので日本製。製造はおそらくフジゲンで間違いないと思う。MADE IN JAPANのフェンダーのアコースティックギターはこの当時のモデルでしか手に入らないと思うので(現在でも上位機種は日本で作られたりしているのだろうか?)、その希少性も含め、なにより作りが非常に良いので僕は愛用している。

このVENTURAはアンダーサドルのピエゾピックアップとフェンダージャパンオリジナルの3バンドEQ付きプリアンプが搭載されている。ボディーの厚さはかなり薄く(7.5センチ程度)、裏板はブレーシング無しのラウンドバック、肘が当たる部分はコンター加工がしてあって、明らかに「エレクトリック・アコースティック」としてデザイン開発されている。当時の日本(フジゲン)の職人さん達の技術が惜しげもなく投入されている。いや本当、徹底的に良いギターに仕上がっている。触れば触るほど、時が経てば経つほどに、このギターがどれだけ優れたギターか解ってくるのだ。なんたって30年以上を経てもまったく不具合が起きていない。

このエレアコありきのデザインによって生鳴りが致命的かといえば、これがそうでもなく、さすがに大音量こそは望めないがとてもバランスが良いサウンドを生ギターとして出してくれるので、部屋弾き用にはもってこいだし、何しろめちゃくちゃ抱えやすく弾きやすいので、実はライヴでも何回か使っている。

忌野清志郎さんが同時期フェンダージャパンの兄弟モデルのEL RIOを愛用していたことは有名です。

 

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Fender JAPAN / CATALINA 花子のすみれ

このギターは僕にとって最もメモリアルなギターです。なにせ、生まれて初めて買ってもらったギターです。

中学生になる時、父親に「ギターが欲しい」と言った。その数日後、父親はどこからもらってきたクラシックギターを持って仕事から帰宅し僕に差し出した。当時はどこの家にも押し入れにこの手のクラシックギターが眠っていたものだ(あるいは今でもそうかもしれない。実家の押し入れで眠っているギター)。それはそれで初めてのギター(実物!)だったので嬉しかった。でもやっぱり何かが違う。レコードの音とも違うし、雑誌の広告に載っている写真のギターとも形がなんか違う。そこで自分なりに調べ、考え、想像してみたところ、これじゃなくて鉄の弦が張ってある「フォークギター」と呼ばれているものが欲しいのだと解ってきた。

あ、蛇足で書くけれど、今の若い方には信じられないことかもしれないが、僕が子供の頃にはまだビートルズ(GS?若大将?)世代の由々しき昭和の習わしが残っていて「エレキは不良」だった。なので僕も両親に向かって「エレキギターが欲しい」とは言い出せなかったし、言い出したらアコギが手に入る可能性さえ根こそぎ消えたかもしれない。言ってないから分からないけど。

そこで僕はまた父親に言った。「フォークギターが欲しい。こういうのじゃなくて、鉄の弦が張ってあるやつ。」

父親はしばらく考えて答えた。「だったら何かお前なりの努力の結果を出せ。学校のテストで誰もが納得できるような成績をとってきたら買ってやってもいい。」

それは挑戦だった。理屈は通っていた。努力なしで手に入るものなどない。僕は父親のそういうスタイルに今でも敬意を持っているし、自分自身もそれを信条としてここまで生きてきたし、今自分の息子にも同じことを言っている。ともあれ、その時受けた父親からの至極まっとうな挑戦は、壁が高いなりにも解りやすい挑戦だった。なにしろ良い成績をとればいいだけなのだ。悩む必要が無い。中学校僕は猛烈に勉強をした。人参をぶら下げられた馬と、真新しいギターをぶら下げられたあの時の僕を倒せる者はいなかった。やれば出来る子だった。気が向かないことは一切やらないだけで(そのまま大人になって現在に至る)。「誰もが納得できる成績って?これ、点数じゃだめだな、95点とっても100点じゃないからダメと言って逃げられる可能性もある、それならば順位でねじ伏せよう」、そんなふうに淡々と冷静に物事を図る超現実的で油断も隙もない自分も既にその頃には出来上がっていたみたいだ(笑)。そして僕はそのテストで堂々の学年第1位をとった。問答無用の結果だ。1位より上は無いのだから文字通り誰でも納得せざるを得ない。そして見事に新しいギターを買ってもらったのである。

とある日曜日に父親と一緒に楽器店に買いに行ったのがこのギターだ。今思えばこのギターが僕の人生を決定したのだ。12歳6ヵ月のあの時。このギターが無ければ、あの時忌まわしい試験勉強に真っ向勝負していなければ、今僕はミュージシャンにはなっていないだろう。全部このギターで練習して、全部このギターで音楽を学んだ。ちなみに学年1位をとった中学最初の中間テスト以降、僕の成績は面白いように下がっていき、人生において二度と学力で栄光に輝くことはなかった。ギターを手に入れてしまったあの頃の僕を倒せる者もいなかった。

これも1980年代にフジゲンが製造したFENDER JAPAN設立期のモデル。廉価モデルで入門者向け(それもおそらく女性向け)に販売されたモデルだと思う。「花子のすみれ」っていう名前のギターだったくらいだから。僕は男の子で、これでロックンロールをやるつもりだったのだけれど(アコギでやれば世間的には不良じゃないのだ)、深緑という当時では異色のカラーリングと、アコギなのにストラトヘッドいうロックっぽさに惹かれてこれを選んだ。確か当時の定価で25,000円だった記憶が。

漢字で「花子」とプリントが施されていたオリジナルのピックガードはすでに剥がれて自分でリペアーした。実はこのピックガードは家具補修用の合皮シールシート。とても簡単に良い感じのピックガードが出来るのでお試しあれ。ハサミでシートを切って貼るだけだから。デュアルモンドのパッシブマグネットピックアップをつけている(このピックアップは安いけどなかなか使える)。

これは特別なギターだ。棺にギターを1本入れられるならこれを入れてもらうかもしれない。

 

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Juno / JP-100

80~90年代の初期時代のJuno。現在ではブランド名だけが引き継がれてアジア生産の入門者向け廉価ギターを展開するJunoだが、創設期の時代は共和商会による国産本格ギターのブランドだった。仲井戸麗市さんが愛用していることで知られている。このモデルも製造はタカミネだ。さすがにタカミネが国内工場で作ったピックギターは作りも品位も申し分がない。JPモデルは最上位機種がJP-120(12万円)で、このJP-100(10万円)はその下の機種となるが、実は120と100の違いはピックアップがついているかどうかだけの差異だった。ところがなぜかこのJP-100には120同様のピックアップが搭載されていて非常に謎の仕様となっている。100の名前が付けられた120だ。ピックアップは後付けされたのだろうか?それとも試作モデルか?特注か?本来ならヘッドのJunoのロゴが入っているはずなのだが、それもないところを見ると試作機だったのかな?色々と憶測を始めると楽しくなる。マニアの習性だ。ともあれ、この年代の国産高級ギターであり、現在となっては非常に希少な個体である。

あ、僕はほぼ使わない。けどキープ。将来ブルースマンになるかもしれないし。

 

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Greco / W-404BSE(1980年製)

見ての通りGibson J-160Eのコピーモデルで、それもこのW-404BSEというモデルに関してはジョン・レノンの使用器のレプリカだということだ。製造はフジゲン。グレコはいくつかのJ-160Eモデルを作ってきたと思うが、これは最初期のほうのモデルみたい。そのせいか並々ならぬ気合いを感じる。レプリカという明白なコンセプトもあったせいか、そのコピー精度は鬼気迫るものがある。そしてこれも本来あってはならないのに当時よく起きてしまった出来事なのだが、本家よりも良い音がしたりする(小さな声で書く)。本家を弾いたことがある方ならある程度理解してもらえると思うが、ハウリング防止のためにオール合板で設計された本家J-160Eはそもそもがアコーステックギターとしてはそれほど生鳴りするギターではない。まあジョンが弾いていた年代のヴィンテージ物はまた少し別の話なんだろうけど(それは欲しいかも)。

そんなわけで、随分前にリサイクルショップで間違った価格で売られていたのを(たぶん専門鑑定できなかったのだろう)救済のつもりでうっかり買ってきて以来、自宅のリビングの壁にかけられている。もっぱら自宅ではコレを弾いていることが多い。本当はそのうち本家ギブソンのソレを買うつもりでいたのに、コイツがあまりにも良く出来過ぎていて事足りてしまうものだから、どうしても本家を買いに行くことが無駄遣いに思えてしまい未だに買いに行けてない。それが良かったことなのか悪かったことなのかも分からない。僕はどうすればいいのだろう?

P-90ピックアップも非常にそれらしく良い音で出力する。ノイズもほぼ無い。アンプ出力したサウンドをいつかレコーディングで使ってみたいと思う。その時には本家なのか?まだ結局コレなのか?

ブランド名にこだわらない欧米感覚の人には、本家の近年物を買うくらいならネットでしつこく探してこっちのグレコのOLDを探したほうがいいような気がする、と僕が言ったことにはしないでほしい。

 

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Morris / F-20(1975年製)

2022年の11月、秋のツアー中に広島のリサイクルショップで拾い買いしてきたギターだ。今の僕のツアー中の楽しみは旅先での古物発掘に尽きる。ミュージシャンを職業にすることに決めてツアー暮らしを始めたばかりの初期の頃は、訪れる町で温泉を巡ったり、美味しいカレー屋さんを発掘してブログでレポートしたりすることを旅の徒然として楽しんでいたのだが(旅に疲弊し、それを続けるだけの麻痺した旅人に成り下がらぬように)、いつの間にかそういうこともしなくなった。理由は明確だ。歳をとるにつれて、湯に浸かることも、食べることも、体が非常に疲れてしまうのだ(苦笑)。やれやれな理由で情けないのだが。

その代わりと言ったらなんなんだけど、訪れた先々の町の古着屋やリサイクルショップで、服や靴や古物探しを楽しむようになった。これは大変のんびりとした時間を過ごせる上に、意外と町の営みの傾向が見えてきたりもするので、今はそれが楽しくてやめられない。古物は面白い。買わなくても見ているだけで十分に面白い。そしてそこで買った物はすべて旅の風景と結びついた記憶を持ち、愛着もひとしおになったりする。

そんな中で見つけたギターだ。まさか広島まで来てギターを買うとは思ってもいなかった。そもそも(これ以上)必要がないし、旅の荷物としては決して増やしてはいけない大きさの物品だ。車に載せるスペースがない。でも買ってしまった。そしてその後のツアー道中、鹿児島まで南下していく行程から、折り返してくる行程まで、この増えてしまった新しい積み荷と共に旅をした。

1975年製の古い廉価ギターだった。僕より3つ歳下だ。当時の販売価格で2万円。オール合板の入門用ギターだ。この個体がもう、猛烈に良かった。何がって?説明できないんだけど、僕とフィーリングが見事に合った。やや太めの三角ネックは、本来僕の小さな手には合わないはずなのに、ずっと握っていたいくらい落ち着きがあり、それでいて快適に弾くことが出来た。合板ではあるが、表板のスプルースも、側・裏板のローズウッドも、この時代ならではの最高に質の高い木材が当たり前のように使われていて、経年変化と弾き込みによって完璧に熟した素晴らしい音色になっていた。スプルースにはびっしりと霜降りが入っていて、飴色に焼けている。

それから気がつけば今僕がソロの仕事(ステージ)で使用するメイン器の2番手についていた。もう何度もこのギターでライヴを行っている。古臭いスタイルで弾き語りがしたい日はこのギターに限る。

ちなみに僕がリサイクルショップで買った値段は、5,600円でした。

これからギターを始める入門者が30万円もするギブソンやマーチンを買って弾く時代に、僕は5,600円のギターで仕事をして生計を立てている。ロマンティックだなぁ。

 

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YAMAHA / Dynamic GUITAR NO.10A

昭和の鉄弦ギターの元祖と言ってもいいヤマハのダイナミックギター。モデルはNO.10Aでダイナミックギターの代表モデルといってもいい名器。ヘッドにJISマークが刻印されていない本器は最初期のモデルで、1961年12月~1963年初頭くらいまでの短期間の製造だ。表板はえぞ松単板、側・裏板は楓単板の総単板ギター。鳴りはもう、このギターじゃないと味わえない深い音色。僕がNO.10Aを所有するのは2本目だけど、1本目を始めて弾いた時、のけぞった。あまりにも素晴らしい音色と音量だったからだ。一時このダイナミックギターも雑誌で特集されるほど注目され、なかなかの市場高値になってしまったが、今は完全に落ち着いたっぽい。普通に5,000円くらいで買えたりする。安いから買い!というよりも、もはや満足な個体が少ない。なので基本的にはジャンク中心になってしまうのだろう。実際に、乾き切った単板(ゆえにめちゃくちゃ良く鳴るのだが)が割れていない個体を見つけるのは至難だ。

このギターももうボロボロ(笑)。しかしそのボロさの貫禄が凄まじく色っぽかったので(不要なのに)買ってしまった。不具合はすべて前オーナーがDIYで修理したらしく、ボディー割れ(多数)も綺麗とは程遠い仕上げで直されている(しかしそこがまたソソるのです)。もともと丸棒サドルのギターだが、アンダーサドルのピエゾを無理矢理仕込みたかったらしく、ブリッジごと通常サドルのブリッジに交換されていた。しかし肝心なピエゾは欠品、これもDIYで繰り抜いたとしか思えない側板に仕込まれたプリアンプのボードも死んでいた。要するに壊れたエレアコ状態だった。

そこで僕が入手後、同型のプリアンプボード(3バンドEQつき)とピエゾマイクをネットで探して購入、中国からの発送で3週間待ち、自分で新品ピックアップにトレードした(同製品のトレードなのになかな苦戦した)。

というわけで、世にも珍しいエレアコ仕様のダイナミックギターが生まれた。プレイヤーズコンデションは、見た目を無視して完璧だったし(前オーナーの愛を深く感じる)、アンダーサドルピエゾを介して聴いたダイナミックギターの音色もこれまた素晴らしかった(初めて聴いた)。ライヴ最前線でこのモデルが使えるなんて、カッコ良過ぎじゃないか!と胸を膨らませたが、冷静な僕がわざわざこのギターをステージに持って行くようなことをするとは思えなかったので(大人になりました、はい)、またしてもお金をかけて修理を楽しんだ後、すぐ売りに出した。わりとすぐに売れた。僕的にはやや赤字になったけど。でもまあ生き物を手術で復活させて野に放ってあげた名医気取りで、気分は良いぞ。

 

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Fender / SONORAN(3/4)

これ、もうなかなか手に入らないみたい。最初から生産数が少なかったのだろうか?ソノランの3/4ミニサイズ。使い勝手が良いし、フィーリングも良いのでプレゼント用にもう1本買おうと探したことがあったのだが全然見つからなかった。インドネシア製の廉価版フェンダーギターだがなかなか侮れない。決しておもちゃのレベルではなく十分に楽器として使える。スタジオのロフト(寝室)の置きギターとなっていて、ゴロゴロしながら手にする作曲用ギター(でもまだこれで曲が出来たことはない)。

 

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MEIKO GUITARRA / No.500B

アストリアスの前身である名工ギターのガットギター。福岡県久留米市にあるアストリアスという工房のギターを岐阜県可児市にあるヤイリギターと同じくらい信頼している。両者はキャラクターこそ違うと思うけれど、どちらもそれぞれに好きだ。もともとアストリアスはガットギター(クラシックギター)だけを作ってきた工房で、スチール弦のアコースティックギターを製造し始めたのは1990年からと意外に遅い。ゆえにガットギターに関してはエキスパートだ。社名がアストリアスに変わったのが1981年であるからMEIKOというブランド名のギターはそれ以前に作られたOLDギターになる。

このギターは経年変化も手伝ってか、ナイロン弦のギターとしては驚異的に鳴る。音量もあるし、ブライトで良く抜ける音だ。そもそもの作りと材質が良いことは間違いない。木工の精度も高級家具に通じるような気品を感じる。

表板は単板で、側・裏板は合板。ただしアストリアスという工房は高級機種においても信念を持って合板(3Pラミネートなど)を使用する工房だ。この設計理論には共感できるので僕はアストリアスのギターを信頼して使える。

僕はこうしてもう長いこと弾き語りを続けてきたわけだが、実は2年間くらいガットギターだけで弾き語りをしていた時期がある。あの頃スチールの弦が指にも心にも痛く感じてしまってガットギターしか弾かなかった。今もいつでもまたそこに戻ってもいいくらいガットギターは好きだ。

 

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YAMAHA / APX-7N

かなり前になるが、あるライヴで急にガットギターが必要となり、それも会場が大ホールという環境だったので、ライン出力で安定したエレガットを急いで探したところ、たまたまこれが近所の楽器店で中古で売られていたので悩まずに買った。そのライヴだけやり切れればよかったので(それもガットギターが必要なのは2曲だけだった)、ライヴを終えたらまた売ればいいと思った。ところがステージでこれを使ってみて、出音もクリアーで安定しているし、なにしろ弾きやすい。まあヤマハの音って言えばヤマハの音でそれ以上の色気も深みもないんだけど、これはなかなか使えるぞ?と思い手元に残すことにした。以来、時折ライヴで使用している。重宝している。

APX-7Nは1991年から1994年の3年間だけ作られたモデルだ。当時定価70,000円の中級クラスと位置づけるより、90年代前半においてはガットギターのエレアコという存在がまだ希薄だったため、上も下もなくこのギターを使ってくださいという位置づけのモデルだったらしい。なにしろ情報が少ない。

 

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YAMAHA / C-40S

ショートスケールの小さめガットギター。トラベルギターとして使用。ちょっとした旅やツアー遠征時に車に積んでいくのにちょうどよい。

これは1970年代の製造なのかな?ヤマハの名器とされているモデルのひとつで日本製。女性や子供向けのモデルだ。青葉市子さんが使用していることで有名みたいだ。青葉さんはCS-40Jのような気がするのだがどうなのかな?このモデルも使っているのかもしれない。良いギターだと思う。

 

 

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Fender JAPAN / JAZZ BASS - FRETLESS

非常に危険なことを書こうとしているのかもしれないが、このフレットレスのジャズベースが、僕が持っているすべての楽器の中で一番好きなのかもしれない。もっと危険な言及を続けるならば、ギターを弾くよりベースを弾いている時のほうが楽しくて好きだ。僕はベースという楽器が好きなのだ。ずっと気づいていなかったけれど。今となっては致命的にスタートが遅いので、自分がちゃんとしたベーシストになろうなどという考えは微塵もないが、ヘタクソなりにも楽しくて仕方がないので、これまでの自分のレコーディング音源のベース演奏は全て自分で弾いている。

何ヶ月もスタジオに籠ってレコーディングする日々は、それが向いているミュージシャンにとっては天国的な日々なんだろうけど、僕のような人間にとっては鬱々とした苦行の時間だ。僕は細胞レベルで旅人体質であって、ライヴ依存症なのだった。常に外界をブラブラしていないと窒息して死んでしまう回遊魚だ。ゆえにレコーディング期間は修行だと思っている。水槽の中で悶絶するフナだ。ほとんどの作業が苦手だ。こんこんと独りでギターを弾き続けるのも楽しくないし、歌入れなんて全力で嫌いだ。プログラミングとか、果てにはミックス作業とか、、、もう最後のほうはゾンビみたいになってしまう。でも。ベース・トラックのレコーディングをしている時だけは嬉々としている自分がいて笑ってしまう。楽しいって素晴らしい。ヘタクソでも迷いがない。だから開き直って自分で弾いてきた(これは自分だけの胸に秘めておけばいいことなのかもしれないけれど、自分で弾いたベースの演奏が意外と好きだ。たぶん自分で作って歌っている曲だから、歌と呼吸が合うのかもしれない。)。

このジャズベースはフェンダー・ジャパンの製品だ。1枚目のアルバム『夜の魚』のレコーディングではフェンダーUSA製のジャズベースで全てを演奏したのだが、その後にこのフェンダー・ジャパンのジャズベースにたまたま出会い、控えめに言っても感動してしまった。その手触りと演奏性にだ。まったく予期せぬタイミングの出会いだったが(必要ともしていなかった)、衝動的に即買いしてしまった。

さらに気持ちに火がついて、あえて同じくらいの年代のジャパン製のプレシジョンベースを根気強く探して手に入れた(※次の項参照)。このあたりからフェンダー・ジャパンに対する僕の評価があらためて高まった。最初期のモデルだけでなく、この2000年前後のモデルに対してもだ。結局楽器は出所も価格も置いておいて、最後はそれぞれの個体の出来で判断するべきだと思うが、僕は運が良くUSA製から乗り換えてしまうようなジャパン製のフェンダーベース2本と出会えた。もうこれで完全に事が足りるし、これ以上の物を求めることもないだろう。そもそもベーシストじゃないし。

とにかく楽しい楽器だ。フレットレスの弦楽器からは無限に音楽が生まれてくる。ボディーを抱えて最初の音を適当に弾いたところからあっという間に没頭してしまう。理論を全く持っていないから全てが自由だ。本来それが音楽なんだろうなって思う。フレットレスベースでレコーディングするにはまだ学びが足りていないので、このベースはレコーディングで使ったことがない。でもイメージはたくさんあって、あれとかあれとかあの曲とかでこのベースを弾いてみたいな~なんて、思ったりもするけど先のことは分からないです。

 

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Fender JAPAN / PRECISION BASS

前項のジャズベースで触れた通り、わざわざ2000年前後製造の日本製プレシジョンを探して手に入れた。想像していたとおり満足できる楽器だった。いつまでも触っていたくなる。やわらかな動物を抱いているようだ(硬くて太い音が出る動物だけど)。ジャズベースのほうはフレットレスだったので、現実的に考えてフレットがあるベースにした。自分の作る音楽があらゆる傾向に散らばっているので、それらを1本のベースで演奏するなら何だろう?という問いの答えが、ほとんど何も考えずにプレシジョンだった。

ここ数年のレコーディングで使用しているのはほぼこのベースだ。演奏現場に持ち出すのもこれだ(たまにそういう機会もある)。  

高校生くらいの時にベースの魅力に気が付いていたら人生違ってたかもなぁ。でも指が短過ぎるからベーシストは無理だったかも。もっとも奥が深くてセンスが問われる楽器だと思う。僕の中では一番難しい楽器だ。そして同じくらい楽しい。だってブイブイいうんだもん。なんでもかんでもブイブイいわせたいよね~。

 

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Epiphone / RIVOLI BASS

レコーディング用に買い足したセミアコベースだ。どれほどまでにエピフォンが好きなんだ?みたいな話(笑)。セミアコのアコースティック感が欲しかったのと、ショートスケールのベースが欲しかった。使い続けてきたジャズベースとプレシジョンベースは大好きなのだが、ただでさえ手が小さくてギターですらもて余してる僕にとっては比叡山修行みたいな楽器だ。そんな理由で演奏性を最優先して選んだ楽器だ。

こちらは初代のUSAヴィンテージ物ではなく復刻された韓国製のエピフォンで、評判が高い2000年前後のRシリアル、ピアレス工場製だ。日本製エピフォン・マニアの僕だが、たしかにこの年代の韓国ピアレス工場製のエピフォンはカジノなんかもなかなか良い。90年代の寺田楽器製とあまり変わりないような感触だ。というのも、韓国ピアレス工場と書くから紛らわしくなるわけで、これは「ピアレスギター」というブランドの韓国工場のことで、ピアレスギターとは名古屋の飯田楽器(モーリスのギターをたくさん作ってきた)の自社ブランドだ。そしてピアレスギターは韓国工場で箱物ギター(フルアコやセミアコ)を専門に作る特化したブランドなので、エピフォン・ブランドの箱物ギターを作っても当然ながら高水準でビルドされるのだ。RかPで始まるシリアルの韓国ピアレス製エピフォンは、現在の中国製のエピフォンとは一線を画して考えていいと思う。

ピアレス期のこのサンバーストの色合いは同時期のカジノにも共通しているが、独特の色味でけっこう好きだ。ちなみにリヴォリ・ベースに関しては復刻物は韓国製のみの生産だったと聞いたことがある(自分の記憶に自信はないが)。しかも復刻生産期間も短いので今は入手もなかなかハードルが高いのではなかろうか?

これは良い買い物だったと思う。買ってよかった。良い楽器かそうでないかは分析して頭で考えるものではなくて、触れた時に感じるものだと思う。だからいつもこういう言い方しかできないが、フィーリングが良い。それは気が合ったということかもしれない。なんだか無性にライヴで弾きたいという衝動に駆られる楽器だ。まあそれは可能性としてほぼ無いわけだけど。エレキベースの弾き語りでやればいいのかな?そういう人いましたよね?

 

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Jumbo / Flat Mandolin

Jumboはギターだけでなく、フラットマンドリンを作っていたことでも知られている。ブランド無き今も比較的簡単に見つけられるので生産数もそこそこあったのだろう。ちなみに僕は当時(1970年代初期)の古いカタログを持っているのだが、そこにはギブソンスタイルのフルアコのエレクトリックギターも載っている。それは現物を見てみたいなぁ。 このフラットマンドリンは型番も不明なので詳しいことは分からないが、クラスとしては一番下くらいの物だろう。どこを見ても簡素な仕様だ。だがしかし、材も木工も素晴らしいようで、おそらく50年近く経ったと思われる古い楽器なのにまったく不具合がない。8本の弦をテンション高く張り続けた状態で、ネックの反りも起きも生じていないなんて、田原楽器(Jumbo)恐るべし。あ、Jumboのギターは結構ネック反るんですけどね。